2009年02月01日

わたしと新潟 関口 智子

関口 智子 氏画像
わたしと新潟 関口 智子

関口 智子(せきぐち ともこ)氏 略歴
ヴァイオリニスト。新潟市出身。才能教育新潟支部にて田沢毅氏に師事。新潟県音楽コンクール最優秀賞受賞。桐朋学園大学音楽学部演奏学科を卒業。NHK交響楽団首席の山口裕之氏に師事。英国王立音楽大学にて演奏家資格取得後、英国・新潟・東京にてリサイタル開催。また、日英の文化祭で自ら撮影した新潟の写真を紹介したコンサートが、日英新聞各社の取材を受ける。2000年ロンドンにてビデオ作品「オクサリス~幸せを運ぶ花」を制作発売。2008年長岡でコンサート開催。新潟・東京・大阪にてリサイタル開催。

「おあげなさいましたか」
柔らかな響きを持つこの言葉の意は、「ご飯はもう食べましたか?」です。
新潟で育った私にとって、この言葉は「故郷」という土地の記憶を新鮮に蘇らせてくれます。

4歳でヴァイオリンを始めた頃は、公園で遊んでいるほうが楽しく、特に「海浜公園」にあるお城の滑り台が大のお気に入りでした。また、ガールスカウトに入り、自然の中でキャンプをしたり、古町のデパート前で「赤い羽根共同募金」をしたりと活動的な子供でした。

「あなたはヴァイオリン弾きではなくて、芸術家になりなさい!」
ロンドンの師匠より頂いた嬉しい言葉です。なぜなら私の父もまた芸術家であったからです。彫刻家 関口昌孝の作品は新潟にいくつかあり、帰省した時は父の作品を見に行きます。特に、新潟市音楽文化会館前の「竪琴を抱く女神像」の前に立つと、父が「おかえり」と言ってくれているような錯覚を起こしてしまいます。

父も新潟を愛し、スケッチに出掛ける際には、私を連れて行ってくれたことも多々ありました。「じゅんさい池」や、今はもう無い「ベトナム池」にも行きました。
亡くなる2年前には、新潟市の市長の手紙を持って、母と共に私のいるロンドンに来てくれました。新潟市と姉妹都市である、キングストン・アポン・ハル市の市長に手紙を渡すとのことで、私たち家族はハル庁舎へ赴き、ハル市長ご夫妻、文化担当の方々の手厚い歓迎を受けたのでした。
さらに市長は「新潟にも港がありますね、これから私達の港へご案内しましょう」と私たちをロールスロイスで連れ出してくれました。
「姉妹都市」という言葉がぐっと身近に感じたられた経験でした。

さて私のライフワークは、「新潟でリサイタルを続ける」事です。2008年のリサイタルは14回目となりました。「新潟」は初心に戻り、再び「芸術家魂」に灯を点けてくれる場所なのです。
私を育ててくれた故郷「新潟」に感謝し、人々の心に響くような音楽を演奏しつづけていきたいと思っています。

関口 智子氏画像